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齋藤優介 齋藤優介
2021.06.16

スワオメッキ有限会社

暮らしを支えるメッキの技術

メッキ技術は、奈良時代に、奈良の大仏を彩る為に用いられ、金属を加飾する技術として古くから日本の工芸史を支えてきた技術の一つである。燕においては、明治期にキセルを飾るところから始まる。その後、金属洋食器やホテル用の金属ハウスウェア製品などに用いられ地場の産業の発展に大きな貢献をはたしてきた。

スワオメッキの創業は1987年。好景気のホテル関係業務用食器にメッキを施すことから事業をはじめた。

創業時、取引先の一流ホテルの求める品質は高く、畳1畳程の角皿をメッキして鏡のように顔が映り込むことが求められた。メッキの品質を左右するのは、金属の下地作り。しっかりと金属研磨をして下地を整えることから始まる。さらに、ホテルの現場では角皿や金属洋食器は、激しく擦られ、洗われ、水や洗剤にさらされる。メッキ皮膜を頑強に仕上げることで、こういった要求に応えながら、ノウハウの蓄積をしていった。

また、スワオメッキの特筆すべき点は、全国でもトップクラスのメッキ層の大きさと200以上の治具があげられる。当時は好景気の影響で、ホテルの業務用食器は年々大型化且つ複雑化していった。その求めに応えるように同社のメッキ層は大きくなっていき、複雑化した形状の製品をメッキ層に固定する治具(じぐ)が増えていった。結果その設備投資が、ノウハウとして蓄積され、現在においては最大の強みとなっている。もちろん、守備範囲も広くなり、少量多品種に応えられるようになってきた。

現在、創業の頃のような大量な製品の注文はない。増えているのは、少量ロットで多品種の受注だ。

「ネジ一個から、畳一枚まで」常に柔軟な姿勢で、求められる要求に対応してきた。

そこには、バブル経済崩壊後、ホテル用の食器が減るなか、仕事を求め、全国を行脚するなど、地道な営業開拓もいとわなかった姿勢がある。新たなジャンルに挑戦する中でも、独自の技術とノウハウが評価され、神輿や神社仏閣の金具·自動車部品·医療品など幅広い分野の製品にメッキを施すニーズに応えてきた。メッキを施す製品に隆盛はあるが、メッキ技術に対するニーズは高い。これからも、メッキ技術で多くの人々や社会に貢献できる会社を目指す。

スワオメッキ有限会社→ https://www.suwao.jp/company/

齋藤優介 齋藤優介
2021.05.18

株式会社阿部工業

タブレットによる生産工程のシステム化

株式会社阿部工業の作業現場では、生産工程のシステム化が進められている。
全社員にタブレットを配布し、作業をする際には、今どのような工程なのか、どういったクライアントの仕事なのかと、常時作業が画面上で確認ができるようになっている。

それ以前の作業現場では、たった1台のパソコンに年間2000を超えるアイテムの作業工程などの膨大なデータが集約されていた。
一見すると、情報が統一管理され効率がよく見えるが、実のところ、作業毎に1人1人が1台のパソコンで確認を行うことは作業効率が良くなかった。併せて、情報の共有化も難しく、従業員の意識もまちまちであった。
しかし、タブレットを使い始めたことにより、全社員が自らの作業場所で瞬時に膨大なデータにアクセスする事ができるようになった。
結果、最終的にどのような製品になるのかを把握しながら実行することで、技術の目的と作業行動が一致してきたのだ。

また、誰がどの工程を担当したのか、それがいつだったのか、どの機械で作業をしたのかといった情報を集積することができるようになった。
機械トラブルなどの不具合が発生した際には、タブレットのカメラを使い、リアルタイムで共有を行うことで、今まで以上にコミュニケーションの密度が増していった。

工場長曰く「日々の膨大な工程が、ノウハウとして蓄積され全社員に共有できるようになった。情報を共有し、品質を高めると同時に、今後の人材育成にもに繋がる。このシステムの導入は、私たちにとって革命だった。」
長年にわたって技術者が培ってきたノウハウが、数値化や、データ化されることで、工程が常に検証できるようになり、必要な手順の確認や、作業の省略化など、品質の向上にも活かされることとなったのだ。未来を見据え阿部工業は着実に、その歩みを進めている姿勢が伺い知れた。

株式会社阿部工業→http://www.abekohgyo.jp

齋藤優介 齋藤優介
2021.05.16

土田工業株式会社

夜空に咲く大輪の花の先に笑顔

創業は1945年。戦後の貧困に国民全体があえぐ中、外貨を稼ぐ先駆者として燕の金属洋食器製造業はいち早く復活を成した。土田工業株式会社代表取締役の土田淳平の祖父もそのような時代背景のなか創業。洋食器製造に着手した。後にドルショックの影響などから、ハウスウェア製造に移行、現在は溶接板金加工もおこない、店舗什器を中心に様々な業務を手がけている。

土田は「自分でも本業がわからなくなるくらい色んなことをやっています」と苦笑いする。何事にも全力で応える姿勢と多くの協力工場の存在がある。さらにプレス機による金属形成だけでなく、溶接板金技術を導入したことで仕事の幅が多岐にわたるようになった。最近はパイプ加工による店舗什器や鉄道車両什器製造が増えてきた。
しかし、自社製品でなく受託製造の為、あくまでも「黒子に徹する」のが常であった。
忙しく毎日をこなすことで日常は過ぎていった。

ある日、夏の夜を彩る花火を打ち上げる金属筒を作った。
大きい筒に自ら入りながら製造した。後で聞けば、作ったのは三尺玉の花火筒だという。しかし、製作した当時は数ある仕事の一つにしか考えられず、感慨もなかった。

土田工業株式会社

ところが、ある日、得意先との雑談から思わぬ言葉が返ってきた。
「凄い仕事だ。君の作った筒から打ち上げられた三尺玉が夜空を飾る。その花火で何十万人の人が感動する。これは凄い仕事だよ。」と感嘆の声が漏れてきた。
考えてもなかった。自らの仕事の先にある多くの人の笑顔のことを。ふと、その光景が脳裏をよぎると同時に身震いがした。そして、自らの仕事を誇らしく感じた。

この日の、やりとりを土田は今でも自分のターニングポイントだったと当時を振り返る。
それからの土田には、その先にある多くの人が喜んでくれる。という想いが、強く芽生えてきた。要望に対し、チャレンジを続け、多くの人と社員を幸せにできるような会社を目指すことが当面の目標だ。
 
土田工業株式会社→http://www.tsuchidakogyo.jp

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2021.05.16

株式会社エステーリンク

燕の描く未来をエステーリンクに感じえた

日本有数の金属加工集積地の燕にとって株式会社エステーリンクの取り組む事業は、新たな可能性であり、未来の燕の姿だと思われる。
エステーリンクは、クライアント企業からの受託部品の加工のみにとどまらず、自らの手で装置設計を行い、製造。販売へとその領域を広げる。

「私たちが、欲しい製品だったからこそ、同業である金属加工産業に携わる方々から喜ばれています。」と代表取締役 斎藤貴範は爽やかな笑顔で応える。

その中の一つ「メタルエステ」は、地場の産業界にとって「欲しかった製品」の一つである。

メタルエステは、レーザーカット加工装置で切り抜いた金属製品のバリを自動で研磨してくれる機械装置である。
エステーリンクは新潟県においても、非常に早い段階でレーザーカット装置を導入した。ただ、機械の仕様上、どうしても加工製品にバリが出てしまう。そのバリを人の手で一つ一つグラインダーで削っていくのだ。

「バリが出たら人の手で削る」現場にとって当たり前の作業であったが、想像以上に危険な加工だった。一歩間違えば作業者が大怪我をするかもしれない。

「効率だけでなく、作業する人の安全を第一に考え、その装置を開発しました。」

自社の作業者の安全を優先する装置は、燕の産地の同業者に求められるようになった。ファクタリムの取材で、様々な会社を訪れると、あらゆる場所でメタルエステが使われていた。皆一様に「助かっている」と口にする。

燕はBtoBによる部品加工業が多い。受託事業なだけに部品加工に対する技術は高くなってきた。だが、このように、自ら部品を作り、装置·機械が組み上げられないのだ。
メタルエステ
エステーリンクのメタルエステの開発は、これからの燕の目指す未来の方向の一つとして示唆される姿の一つだ。燕の企業が、それぞれの技術精度で部品を加工し、組み上げ、装置機械を作り上げることができる未来を想像する。
エステーリンクの取り組みから、燕の未来の伸び代を充分に認識させてくれる。
 
株式会社エステーリンク→https://www.st-link.co.jp

齋藤優介 齋藤優介
2021.05.16

株式会社 今井技巧

磨くという技術の先にあるものとは

「#240000で研磨をお願いします」
初めて依頼を聞いた時は耳を疑った。間違いではないですか。と聞き返すほどだったと、株式会社今井技巧 代表取締役 今井大輔(4代目)は当時を振り返った。

創業は大正15年。初代は美術工芸の飾りを彫る彫金師として東京で活躍し、腕の良い技術者ということで、燕に招かれ、地場の金型製造に携わった。現会長今井道雄(3代目)が、さらにその金型を研磨する技術へと移行していった。

様々な用途の金型を研磨するが、特筆すべきがプラスチック製品を作る際の金型研磨技術。この金型への研磨の良し悪しが、製品の価値にダイレクトに響いてくる。もちろん研磨の精度が高くなるほど、鏡面技術はより輝きを増し、重要な部品になることは明白だ。今井技巧はその分野にかけてはスペシャリストである。

#240000。研磨業界では、ありえない番手の注文が出された。普通研磨を行う際には#3000より数値が大きくなると鏡面仕上げといわれる。#14000で業界ではトップクラスの細やかさで鏡面を作り上げる。

それが、金型研磨には定評がある今井技巧が培ってきた技術だ。
それだけに#240000という研磨への挑戦は、未知の領域でもあった。
しかし、挑戦しがいのある依頼でもあったという。

今井は、研磨業界では他に類を見ないクリーンシステム『KOACH』を導入することで作業環境を向上させた。試行錯誤を重ねた結果、前人未到の#240000の研磨に応えた。

実際の作業現場を訪れると、そこには技術者の静かな息遣いと、研磨され究極の鏡面となった金型から反射する光が壁に映り込み鋭くきらめいていた。
その光景は、まさに今井技巧が創業から90年に渡って培ってきた技術の集大成の1つであろう。
究極の鏡面を作り上げた先に、求めたお客様の笑顔が映り込むものであって欲しいと今井は心に誓うのであった。

株式会社今井技巧→https://www.imaigikou.co.jp

※写真は#14000の鏡面仕上げイメージです

齋藤優介 齋藤優介
2020.10.27

有限会社 本間産業

三兄弟で挑む金属洗浄

燕は全国に類を見ない分業の街。「町全体が一つの工場」ともいわれる中において、その独自性が現れているジャンルの一つが、金属の受託洗浄会社の存在だ。金属の受託洗浄とは、顧客の金属製品を預かり脱脂洗浄する会社であり、洗浄機械を販売しているわけではない。

有限会社本間産業(代表取締役 本間尚貴)の創業は1981年。本間光彦氏(尚貴氏父)によって創業された。
当初は光彦氏、光彦氏妻、パートの3人のプレハブから始まったという。途中バブル経済が破綻するなど厳しい頃もあったが、現在は事業を拡大し、光彦氏の3人の子息が中心となって13人で金属洗浄を行っている。
創業当時は、地元燕の企業を中心に仕事をしていたが、近年は県外の企業からの取り引きも増加してきた。同時に高い品質管理も相手企業より求められるようになってきたため、燕独自の品質管理TSOの取得を足がかりに、現在ISO9001を取得し、徹底した品質管理の強化、環境の保全に努めている。

2020年3月本間産業は、本間光彦氏から、長男の本間尚貴氏へと代表を交替し、現在は、本間尚貴氏 (1973年生まれ)、 本間祐治氏(1975年生まれ)、本間健示氏(1979 年生まれ)の三兄弟が原動力となっている。

長男の尚貴氏は地元の高校を卒業後、地元の商社に12年間勤めた後に入社した。
当初20代の頃から父光彦氏に入社を勧められていたが、次男の祐治氏が18才で家業に入っていたため断っていた。2003年光彦氏が入院したことをきかっけに、会社に入ることを決意する。
先に技術を身に付けていた弟の祐治氏に現場仕事を教えてもらい、10年ほど経験を重ねていくこととなる。
その頃、尚貴氏は地元商工会議所青年部の会長になった。これにより会社を留守にすることが多くなり、社員に仕事を任せる機会が多くなったという。この出来事が、社員に責任感が強く芽生えることとなり、会社の雰囲気が良い方向に変わったという。
併せて事業の拡大や、ISOによる煩雑になるパソコン業務や管理をお願いしたいということから、尚貴氏が頼み込む形で弟健示氏が2017年に入社となった。三兄弟が中心となって会社が動き始めたのだ。

尚貴氏は、「父親への感謝しかない。TSO、ISOに取り組むときも、反対しなかった。それがありがたかった。そして兄弟の存在が大きい。この2人が会社を支えてくれることが本当に大きい。」と感謝の念を言葉にした。

本間産業は金属の脱脂洗浄専業としては燕だけでなく、全国的にみても最大規模になっている。2019年に新たな工場の新設、炭化水素系洗浄機の導入など、環境対策の充実をはかり、新たな事業機会に向け家族全体が集まり、洗浄の世界で独自な存立基盤を形成している。
今後は更なる会社の継続体制の基磯を作り上げることを念頭におき、金属洗浄業界を牽引してくれるに違いない。
有限会社本間産業 → https://www.honmasangyou.co.jp

齋藤優介 齋藤優介
2020.10.27

有限会社 長谷川挽物製作所

命を守る為の品質管理

長谷川挽物製作所(代表取締役 長谷川克紀)は、品質管理を徹底するにあたり、4M(Man(人)、Machine(機械)、Material(材料)、Method(方法))は重要な投資対象となっている。

4M管理においてのMachine(機械)、Material(材料)について、毎年必ず1台以上の工作機械、最近では検査機器、さらに簡易クリーンルームの設置など必要な投資は躊躇なく実行されてきた。

長谷川挽物製作所では、企業から加工依頼を受けて、部品を納入する。
企業持ち込み素材、自社調達素材などの多種多様の金属素材が使用されている。
中には貴重な金属素材、取り違えてはいけない金属素材もある。持ち込まれた金属素材が「本当にその金属なのか」と証明する所から、お客様との信頼のスタートが始まる。

蛍光X線分析装置(Oxford社 X-MET8000)も、信頼の証明の一つ。
金属加工業者で、このような分析装置を使用し検査体制を敷いているというのは珍しい。
金属素材が入荷した際、分析装置を使って確認をする。確認後、素材毎に色分け分類し仕分ける。

社内での間違いを無くす。問屋さんもミスが起こるかもしれない。
間違いない人が、間違いない機械で、間違いない作り方で作っている。その証明が大事なのだ。

長谷川挽物制作所は、実に様々な金属部品の加工をする為、その部品は、実に多くの機械製品に組み込まれて、広く使われている。
それだけに、異材混入は、最悪その機械製品を使う人の命に関わる事態を招きかねない。
ゆえに徹底した品質管理は、その機械製品を使う人の命を守る為、相手企業に対しての信頼のために欠かせないことなのだ。

「真剣に取り組むほど完璧な4M管理というのは存在するのかという思いになるほど難しいと感じる。つまるところ、4M管理とは、終わりのない自己鍛錬とも言うべきものであるという理解でいます。」と長谷川克紀氏は語る。
「作れる」こと以上に、安心・安全な部品を相手企業に届けられるように、長谷川挽物製作所は、ISOでの検査も含め、品質管理を徹底的に追い求めている。
長谷川挽物製作所 → https://hasehiki.co.jp